yz03’s blog

毎日手書きの日記を書いているアナログ人間が、ついにブログにチャレンジしました。20代に足を踏み入れたばかり。

偽善とは

 

 

かなりのコミュ障だから、こうして文字にして何度も見返して文章構成におかしな箇所がないか確認して、やっと他人にうまく伝わる言葉が作られる。

 

 

 

うーん。ね。

眠れないし、最近思ったことを...

 

 

偽善って言葉あるじゃない。

いかにも人間臭くて嫌い。

偽善者がイヤ、って意味じゃなく、善行を周囲の人間の身勝手な判断で、偽善というものにしてしまう、その人間の汚さが。

 

そもそも、偽善か、あるいは偽善ではないか、それを人が判別する基準は何なのだろう。

 

例をあげると、もう何年も前だがタイ〇ーマスクが世間を(良い意味で)騒がせた事があった。

あの件について当時、一部の人間からは偽善者だという声があがっているということを知り、私は子供ながらに衝撃を受けたことを覚えている。

 

インターネットの普及もあり、そういった時代の流れとともに日常的に浸透している言葉だが、そもそも偽善という概念を見直す必要があると思う。

言葉の定義は時代と共に変化し続けているものもある。もちろん、「本来の意味」としては広辞苑でも捲れば出てくるのだろうけど、だんだん広義になりつつある言葉があるのは事実である。

上記の’’言葉’’には偽善、は含まれないように見えるが、偽善という言葉自体、広義に使われていると感じる。

 

・周囲に善行をしながらも、自分の中に虚栄心等があると自覚しているために、自分のことを偽善者だという場合

・一見して慈善行為をしてるように見せかけ、本質的になんの手助けにもなっていない場合

 ・他人が、慈善行為をしてる人に対して悪意を持ち偽善者だという場合

 

このような三つに分けられる。

 三項目のうち、上から二つは確かにそうと言える。だが、一番下はどうだろう。タチの悪い身勝手な思考から来る暴力ではないだろうか。

つまり何が言いたいかというと、真理も分からずにむやみに使って良い言葉ではないということだ。

言葉は目に見えず、一見して相手に実害を及ぼさない。だが、相手に向かって直接暴力を奮っているのと何ら変わりはない。